都議会の女性蔑視のヤジとワールドカップと日本人の思想・個人・教育
このブログを書いている段階では、日本とギリシャが戦っています。いつからか、サッカーがこのように盛り上がるようになったのでしょうか。また、都議会で女性蔑視のヤジを飛ばしたことがニュースになっています。ここから日本人と教育について考えてみます。
それぞれの出来事は、基本的には全く関係のない出来事です。しかし、サッカーの盛り上がりとヤジに日本人の特徴が見えるような気がします。
都議会の女性蔑視のヤジ
このことは、朝日新聞のニュースでは以下のような記事になっています。
東京都議会で晩婚化や晩産化の対策について質問した塩村文夏(あやか)都議(35)が、「自分が早く結婚すればいい」と男性都議からヤジを飛ばされた。ウェブ上で「セクハラだ」と議論が高まり、都議会には1千件を超す批判が殺到した。最大会派の自民は、発言者を特定せず幕引きを図ろうとしている。
どうも、声が聞こえたのが自民党方面ということです。その自民党は知らぬ顔で、なんとなく忘れてゆくことを望んでいるようです。
メディアもこの件を取り上げていて、時間を割いている局もあります。しかし、残念なことに数日たつと忘却の彼方へ行ってしまうのでしょう。
実は、この方が発言していた女性問題は、野党からの発言ながら安倍首相が成長戦略の一つとして挙げている「少子高齢化」対策の内容と被るところがあるようです。しかし、「野党」ということでヤジを飛ばすということは、その発言内容に意味はないとかと感じてしまいます。
つまり、自分の所属する組織が勝てばよいので、その中にいる自分(個人)の思想やモラルは全くなくなっていると感じます。
サッカーワールドカップの盛り上がり
このサッカーですが、国内の試合の場合はプロ野球などと同様にそのスポーツが好きな人が、観戦や応援に行くというものだと思います。しかし、ワールドカップとなるとほぼ日本中の人が応援してるように見えます。
オリンピックも同様ですが、国別対抗戦というのは国民のナショナリズムを刺激するのか、普段スポーツを見ない人でも関心が高まり、それに便乗するがごとくメディアなども盛んに取り上げます。
この時「サッカーワールドカップ」なんて関心がないというと、ちょっと変わった人という扱いになるのでしょう。それは、個人としてのサッカーに対する興味がない人でも、日本人なら・・・。という思想があるように感じます。
ここにも、自分(個人)の思想やモラルで、関心のない人も「認める」ということが欠けていると感じます。
結局、何が言いたいか
企業のこれからの戦略で「ダイバーシティ」と言ってみたり、女性の活用などというお題目が上がります。そのようなお題目が上がるということは、逆説的にそのことをしなければいけない/できていない課題として認知されています。
これらを課題としながら、上記のような現実があるというのは、国民性として深く楔のようにある「他社を許容する思想」や「個人」というものに立脚した思想が青少年だけでなく、全体としてもっていないことがあるように感じます。
社会的地位が高くなったり、年齢が上がってくると「若い人」等に対して、「正論」のようなものを話すことが多いですが、その前提となる思想が誤っていたら、その話全体が誤りになる可能性が高く、その正当性を検証できない「若い人」は誤った思想を受け継ぐようになるのです。
あらゆる局面での「教育」と呼ばれる行為がそうですが、そのことを踏まえないで「自分は正しい」と語る人の危うさをもっと意識する必要があると感じました。
みなさんは、どうおもいましたか?